尾道は坂と寺の町である。
尾道を「大屋根はみな寺にして風かおる」と詠んだのは児童文学者の巌谷(いわや)小波(さざなみ)であるが、坂道を登って振り返れば、家並みの中に寺の大屋根が点在している。
尾道の町の東に位置している浄土寺は、山陽本線が出来る前までは、現在の国道二号線から南に海側に入ったあたりからが寺領で、なだらかな参道となっていたが、その途中を山陽本線と国道二号線が横切ることになり、結果的に参道が短くなってしまいアプローチが現在の急勾配の石段となった。
その石段を登って境内に入ると、対岸の向島との間に挟まれた尾道水道を南に望み、瑠璃山を背景にした堂塔の佇(たたず)まいに尾道ならではの景色が見渡せる。
西日本屈指の名刹である浄土寺は推古天皇の時代、六百十六年聖徳太子の開基と伝えられている。
現在は皇室の菩提寺である京都東山区にある真言宗泉涌寺派の総本山泉涌寺の末寺である。
境内の建物の内、本堂と多宝塔が国宝であることから寺領全体が国宝扱いとなっており、これは全国で京都の清水寺と同じ扱いとなっている。
その浄土寺の多宝塔は、源頼朝の建てた滋賀県石山寺の多宝塔、頼朝の菩提を弔うため正室の北条政子が建てた和歌山県金剛三昧院の多宝塔と共に日本三大多宝塔の一つで、鎌倉時代に建てられた現存する日本で最大の多宝塔である。
正中二年(1325)に浄土寺が悉く焼失するが、すぐさま嘉暦三年(1328)、海運業で財を成した道蓮、道性という法号を持った尾道の若い夫婦によって再建され、爾来、民衆の拠りどころとして今日に至っている。
「多宝塔というのはインドにおける仏の墳墓であるストゥーパ(卒塔婆)から発した塔の一形式である。
高さ十九・八メートルのこの多宝塔は二重の塔のように見えるが、単層の塔に裳(も)階(こし)(雨除けの屋根)が付いたもので実は二重の塔ではない。
しかし、裳階の廂(ひさし)の下が四角形でその上が円形となっており二重の塔に見える。
普通は屋根の重量が重いので、中でも四十五度方向は重くなるので檜皮葺(ひわだぶき)としているが、瓦葺となっているのは珍しい。
現に昭和十年の修理前は、さすがに重みに耐えられず軒が下がってきたので屋根の重さを支える為、支柱が四方に添えられていた。
屋根は隅降棟(すみくだりむね)が屋根の頂上に集まる四角形の宝(ほう)形造(ぎょうづくり)で、頂部には相(そう)輪(りん)が立っている。
下重屋根の上の丸みのある白い漆喰部分は「亀(かめ)腹(ばら)」と呼び、この塔の大きさに合わせ、比較的大きなものがつくられている。軒は下重・上重とも二軒(ふたのき)繁(しげ)垂木(だるき)である。
上部の重さを支える中備(なかぞなえ)の花(ばな)肘(ひじ)木(き)や蟇(かえる)股(また)も装飾的で美しい。
組物は四段に斗栱(ときょう)を積み重ねる四手先(よてさき)(桝が外に向って四つ)としている。
四手先で屋根部分を梃子(てこ)の原理で支える尾垂木を二本入れるのは日本初である。
上部の尾垂木(和様)は先が太くなっており、下部の尾垂木は繰形(くりがた)(飾り・見せ掛け)が入れられているが、これも日本における最初で最後の組物である。
浄土寺多宝塔(尾道市東久保町)
四隅の尾垂木の上には屋根を支える邪(じゃ)鬼(き)が置かれている。
肘(ひじ)木(き)は通常より一段多く六段に積上げた組物で、手先を止める為に葉っぱの形をした花肘木(拳(こぶし)鼻(ばな))で調整している。
柱間の中備にも斗栱(ときょう)を組んでいて屋根を豪華に支えている。
頭(かしら)貫(ぬき)の先端は若葉をデフォルメした禅宗系木(き)鼻(ばな)である。
亀腹の白、組物の赤、連子窓の緑と色彩的にもあざやかな鎌倉時代の代表的な建造物である」(文化財講座・三浦正幸教授講演会資料参考)塔内部は、四天柱(丸柱)の後ろ(北側)の二本を少し後退させているので須弥壇前が広くゆったりとしている。
内陣天井下の花肘木も華やかである。
天井は二重折上小組格(ごう)天井(てんじょう)で、須弥壇中央の天蓋(てんがい)の下に御本尊の大日如来座像が南面して祀られ、左の脇侍には釈迦如来座像、右の脇侍には薬師如来座像が脇を固めている。
二階部分には床は無い。
御本尊を踏みつけないという配慮がされている。
又、内部は天井を中心に見事な彩色が施されている。
壁面には真言八祖の画像が描かれているが、御本尊大日如来を中心にして手前右から龍猛・左に龍智、右手前に金剛智・左手前に不空三蔵、右奥に善無畏・左奥に一行、正面右奥に恵果・左奥が空海となっている。
浄土寺の八祖像が描かれたのはいずれも江戸時代になるものである。
京都のランドマーク東寺
東寺は京都のランドマークである。
京都文化圏の中から世界遺産(文化遺産)として十七の建物が登録されているが、東寺はその内の一つである。
真言宗の総本山で、山号は八幡山。
正しくは教(きょう)王(おう)護国寺(ごこくじ)と言う。
御本尊は薬師如来。
延暦十三年(794)の平安遷都の際、平安京の正門である羅生門の東西に置かれた王城鎮護の官寺の内、東側に置かれたため「東寺」と呼ばれている。
弘仁十四年(823)に嵯峨天皇から弘法大師空海に下賜され、真言密教の根本道場となった。
爾来、盛衰を繰り返しながら伽藍が整えられ現在に至っている。
国宝の五重塔は寛永二十年(1643)、徳川家光によって上棟になったもので、五代目である。
柱は全て基壇の上に置かれ、力を逃がす柔構造のため地震で倒壊した事はなく、四度の焼失は殆んどが落雷によるものである。
基壇礎石の上から最後部の相輪頂までの高さ五十五メートルは現存する木造塔としては最も高い。
内部は礎石の上に立つ中心の心柱を大日如来に見立て、周囲に金剛界四仏と八大菩薩像を配置した立体曼荼羅となっている。
長押(なげし)や天井板には極彩色の文様が装飾され、壁面にはやはり真言八祖像が描かれているが、尾道の浄土寺とは違ってその心柱の御本尊大日如来を中心として正面左手前に龍猛が描かれ、時計回りに龍智、金剛智、左奥を不空三蔵とし、正面右手前に移って善無畏が描かれ、逆時計回りに一行、恵果、右奥に空海と真言密教を正統に伝えた順に祖師八人(真言八祖)が描かれている。
八祖像はいずれも四方の壁面に牀(しょう)座(ざ)と言われる背もたれと肘掛けの無い椅子に斜め向きに座る姿で描かれ、足下には沓(くつ)と水瓶(すいびょう)が置かれ、眼光鋭く、今も私達に密教の教えを篤く説き続けている。
参考・真言八祖
一、龍(りゅう)猛(もう)
インドの高僧。浄土真宗でも七高僧の一人に挙げられる。
弘仁十二年(821)に空海が指定した第一番目の密教祖師。
二、龍(りゅう)智(ち)
インドの高僧。超能力に優れ、天に昇り地に潜ることも出来たとされる。
同じく弘仁十二年(821)、空海が指定した密教祖師。
三、金剛(こんごう)智(ち)
龍智から奥義を授かり「金剛頂経」を中国へ伝えたインドの高僧。
四、不空三蔵
インドの高僧。唐王室の信頼を得て、密教を護国の宗教として定着させた。
五、善無畏(ぜんむい)
「大日経」を中国に伝えたインドの高僧。
六、一行(いちぎょう)
中国の高僧。数学や天文学の大家として知られる。
七、恵果(けいか)
唐に渡った空海が訪ねたのが長安青龍寺の恵果であった。恵果は空海を見るなり「あなたを待っていた」と言って密教の秘法である灌頂を全て空海に授けた。
八、空海(くうかい)
恵果から奥義を伝授された。弘法大師。
春夏秋冬。季節ごとに尾道は様々な顔を見せてくれます。
歴史的な名所を訪れるのも良し、ゆっくりと街並みを歩きながら心穏やかな時間を過ごすのも良し、美味しい食事を心ゆくまで楽しむも良し。
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